5億円を超える相続税に呆然・

一介の専業主婦であった私が、なぜマンションのオーナーになったのか。ほとんどの大家さんと同じく、それは相続税対策からでした。今からは山年前、東京都内に土地を持っていた夫の父が高齢になり、相続の問題が浮上しました。この頃は、主に長男である夫やその妹たちが税金の問題について話し合っていたのですが、私も土地の評価額を聞いてピックリしました。何と、このままでは5億円を超える相続税を支払わなければならないことがわかったのです。当然のことながら、それだけの税金を納める現金などありません。そこで、当時の常套手段として借入れをして、マンションを建てようということになりました。ただ、私の夫はサラリーマンです。とてもマンション経営に携わる余裕などありませんでした。そのため、設計の打合せやマンションの運営は、ほとんど妻である私に任されることになったのです。このときの借入れ金額は9億円。初めて賃貸マンションのオーナーになる人聞借り入れるにしては、かなりの大金でした。バブル全盛期とはいえ、冒険でした。ただ、正直な気持ちを言うと、ケタが億単位になったらその実感がわかないのです。たとえば大根が1本178円とか、バス停を一つ先まで歩いたら160円節約できるとか、そうしたことは感覚としてわかります。でも、ゼロがいくつも並んでいる数字を見たって、それがどれほどのものなのか、実感できません。慎重に検討していたつもりでしたが、実感がわかないからこそ、怖いもの知らずで建築に踏み切れたことも大きかったと思います。また、設計の打合せといっても、私は建築士さんが何をするのかということすら、わかりませんでした。ただ図面を引いているだけかと思ったら違うのです。着工してからも足を運び、建物の検査なども行ないます。私の場合、たまたま私の従兄弟が建築士だった関係で、彼に一任することにしました。

不安な気持ちを押し隠したこっ自の曲がり角

「よし、笑顔になろう」私には、そうやっていつも気持ちを切り替える場所がありました。私の経営する賃貸マンションは、都内の私鉄の駅から徒歩6分の立地です。幹娘道路から脇道に入って二つ目の角を曲がれば、住宅地の中にピンクと白が混ざったタイル張りの建物を仰ぎ見ることができます。その二つ目の曲がり角。私は一瞬立ち止まって、憂欝で不安ばかりが募る気持ちを必死に追いやろうとしていました。まだ、建物が竣工する前の話です。建築業者や設計事務所の方々と打合せをするために、私は当時住んでいたところから、建築現場へと頻繁に足を運んでいました。景気は1週間ごとに悪くなっていきました。着工計画の段階では、日経平均株価は最高値を更新していましたが、それ以降、日に日に下がり、不況の足音が迫ってきていました。思えば、あれがバブルのタ1ニングポイントだったのでしょう。芯ぜ、専業主婦が「金持ち大家さんjに芯れたのか?よりにもよって、そんな時期に:誰もが今のような長い不況が訪れることを想像すらしていなかった時期。でも、その影が現実にしのび寄っていた時期。打合せに向かう私の足取りは重く、不安で押しつぶされそうな気持ちを奮い立たせるのがやっとでした。でも、オーナーである私が、憂欝な顔を業者さんたちに見せるわけにはいきません。不安でオドオドしていたら、彼らにも無用な心配をかけてしまいます。「こんな大家きんで本当に大丈夫なんだろうか」「大家さんがあんな状態じゃ、こっちも不安になってくるよね」など思われてしまったら、どこかで建築ミスや仕事の遅延を招いてしまうかもしれません。「この部分を変えるとしたら、数百万円の費用がかかりますね」「ぁ、そう。わかりました」心の中では「ええ、そんなにかかるの円」と思っているのですが、そんな気持ちなどおくびにも出さずにいました。いつも元気でハキハキ、そして堂々としていなければなりません。そのためには、気持ちの切り替えが必要でした。それが、私にとっては二つ目の曲がり角だったのです。とりわけ、私はずっと専業主婦でしたから、建築の打合せといっても右も左もわかりません。それが不安な気持ちに拍車をかけていました。夫はサラリーマン、私自身は2人の子どもを育ててきました。結婚する前に多少のOL経験があったとはいえ、その当時、女性は結婚して専業主婦になるのが当たり前とされていた時代です。私も例外ではなく、ずっと子育てに専念していたのです。私が正式にマンションのオーナーになったのは、日歳のときです。それまで主婦だった私が「天命を知る」年になってマンション経営に乗り出すなどということは、とても信じられませんでした。こんな私でうまくいくのかしら?そう思いつつも、計画し始めた頃はバブル全盛期でしたから、どこかで「マンション経営なんて簡単にできるでしょう」とタカをくくっていた部分もありました。それが、あれよあれよという聞にバブルが崩壊してしまったので、目算がかなり狂ったのです。バブル前後の荒波に舟を漕ぎ始めた孤独感と焦燥感が、この頃の私を襲っていました。